
2月 玄関を出ると 春にしか漂わない 【春の香り】 がそこにはあった。
まだ冬としか思えない寒さの中で綻ぶ花々が春の気配を届けてくれたのだろう。
学生の頃耳慣れていた鳥達の鳴き声も聞こえる。
そういえば 東京ではこの鳴き声は 余り聞かなかった…
故郷にしかない 当たり前の懐かしさが そこにはあるのだと知る。
こんな歳になって 当たり前のような事に気付かされる、いや 気付かないようにしていただけかも知れない…
何度も 空っぽになった私は いつも 心のグラスに 甘美な気持ちに酔いしれる水を注いでくれる相手を見つけることで 一時の心の渇きを 癒していたのだろう。
海水を飲んだ漂流者のように、案外 またすぐに 干からびてしまった。
庭で ひとしきり陽射しを浴びて 洗濯物をほすと、つい あの人を思い起こす。
晴れた日は 陽光の力を借りてそのまま 難無くやり過ごすが、愚図ついた空は私を マイナス思考のループへ誘う。
幸い 今日は気持ちのいい美しい空が見渡せる、こんな日は 前向きな答えが導き出せる…こんな私にでも。
机にむかうと 火燵に護られた下半身は問題無いが 肝心のペンを持つ手が温もらない。
文字をスムーズに書けない部屋の温度に難儀する。
冬は 欝陶しい と友人が零していたのを こんな場面で納得したりするものだ。
雪で一面が 真っ白な景色は綺麗だというあの人の言葉…また気付けば あの人を想ってしまう。
頭を振り 本に視線を戻すが もう遅い、完全に私の意識は 過去と あの人の間を右往左往し始めていた…
恋愛を知る前の自分は 時間の使い方が上手で 自分に納得いく毎日を過ごしていた様に思う。
恋をして 相手に溺れるあまり 私は 私に費やすべき時間を 惜しみなく相手に注ぎ込んだ。
私は 趣味 を失った。
そして 恋人が去った時
【無】だけが残った。
今思えば 害でしかないような関係ではなかったか。
よい関係とは 互いに支え合い、高め合う事が出来てこそ そう呼べるのではないだろうか。
目尻が熱くなるのを感じ 思わず 顔を天井に向けて瞼を閉じた。
今 私が 【害】になろうとしていた…あの人の。
いつから 一人では歩けなくなったの?
いつから 一人だと感じるように?
恋愛を始めたのが 遅かったのか、はたまた 飲み込みが悪いのか、昔から 天邪鬼が巣くう この私だから もしかしたら 自分からわからないふりをしていたのかも知れない。
相手に自分の全てを注いでも 相手がいなくなれば【無】 しかなく、反対に自分のしたいことを 絶えず貫いていれば 恋人が去ったあとも それは残っていたのに…
もう 【空っぽ】 になりすぎて 慣れてしまったかと思ったが やはり自分自身を諦めきる事は生きている限り出来はしないようだ。
一つも いい方向に転ばなかったが 私は負けず嫌いな性格も 一応は持ち合わせている。
陽光の力を借りて、今 サヨナラをしたい人の事を考えていた。
私にとって不用の人。
それは 【害】である 私自身。
あの人は 今頃 自分の仕事に励んでいるだろう。
趣味の多い人だから 一日の時間が足りない、などとぼやいていそうだ。
そんなことを考えているうちに痺れた足を、小刻みに組み直して 思わず吹き出した。
『あなたに私が出来る事はとても少ない』
心に文字を書くのは こんなにもたやすい。
ペンも紙も 暖房もいらないのがありがたい。
邪魔をしないこと
応援すること
好きでいること
あなたがいつも そうであるように。
私も そうでありたい。
日本の冬は長い。
だから 春が待ち遠しい、温かい季節に 焦がれる…
部屋の中でもおもむろに白くなる息を見送ると、私はまたペンを右手に握りしめた。
しばらく聞いていないあなたの声を 心にえがきながら、
『頑張れよ』
そう繰り返す…